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水戸家庭裁判所土浦支部 昭和57年(家)327号 審判

申立人 横井明徳

事件本人 横井真夫

主文

茨城県新治郡○○町役場備付本籍同県同郡同町(旧○○村)大字○○××××番地戸主横井菊太の原戸籍中孫真夫(昭和二〇年二月二日生)の身分事項欄の死亡による除籍事項を消除して同人の戸籍を回復することを許可する。

理由

第一申立

申立人は、主文と同旨の審判を求め、その申立の実情は、次のとおりである。

申立人は、亡妻横井ともと共に旧満州に居住していたところ、昭和一九年五月一日応召し、妻と長男を残して旧関東軍に入隊、虎林に駐屯していた際、妻からの手紙によつて妻が妊娠したことを知り、その後次男が出生したことを知らされたが、その名を知る機会もないまま終戦となり、シベリヤに抑留され、昭和二三月六月漸く帰国し、現住所に落付いた。

申立人は、帰国後実兄吉川長吉らから、妻ともは終戦後の混乱の中で現地で死亡したこと、申立人が応召中出生した次男の名は真夫であること及び真夫は現地の中国人に預けられたことを告げられたが、終戦前後の現地の悲惨な状況から、真夫が生存しているとは、想像することすらできなかつた。そして、同年七月一五日横井家の戸主亡横井菊太が同居者として、事件本人真夫は昭和二〇年一二月二〇日に旧満州で死亡した旨の届出を旧○○村長に対してなし、これが受理されて事件本人の戸籍にその旨の記載がなされた。

しかるに、その後調査の結果、昭和五七年三月、肉親探しのため来日した中国残留孤児の一人である康依仁が上記真夫と同一人であると推認されるに至つた。

よつて、事件本人は生存しているものと認められるので、同人の戸籍の身分事項欄の死亡による除籍事項を消除してその戸籍を回復することの許可を求める。

第二当裁判所の判断

本件記録中の戸主横井菊太の原戸籍謄本、筆頭者横井たみの戸籍謄本、横井真夫の死亡届謄本、横井菊太作成名義の横井真夫の死亡現認書(写)、厚生省から茨城県宛に送付された康依仁に関する資料(写)、厚生省援護局業務第一課長から家庭裁判所調査官に対する回答書及びその添付書類、康依仁、康立山及び横井始の家庭裁判所調査官に対する各照会回答書、医師中野一郎作成の診断書並びに家庭裁判所調査官○○○○の調査報告書によれば、次の事実を認めることができる。

1  本籍茨城県新治郡○○村(現○○町)大字○○××××番地戸主横井菊太同籍事件本人横井真夫は、菊太の婿養子である申立人を父、菊太の長女である横井ともを母として、昭和二〇年二月二日旧満州国チチハル市において出生したものであるところ、昭和二三年七月一五日に至つて、横井菊太から同人作成名義の死亡現認書を添えて、事件本人は同二〇年一二月二〇日午後六時旧満州国ハルビン市○○溝○○街×号において死亡した旨の届出が○○村長に対してなされ、本件本人の戸籍の身分事項欄に死亡による除籍事項の記載がなされた。

2  申立人は、昭和一三年旧○○○○○株式会社(以下、「○○」という。)に就職して渡満し、その後、同一七年四月二日上記菊太の長女であるとも(大正六年八月九日生)と婿養子縁組婚姻の届出をなし、直ちに妻ともを旧満州に移住させ、同一八年三月二一日同女との間に長男高一を儲け、同年暮頃から○○チチハル駅○○として勤務していたところ、同一九年五月一日現地召集を受け、妻及び長男をチチハルに残したまま、旧関東軍に入隊し、虎林駐屯の部隊に配属された。申立人は、上記応召時に妻から妊・娠していることを知らされ、又入隊後妻からの手紙によつて次男が出生したことを知つたが、その名を知る機会がないまま、同二〇年八月終戦となつて牡丹江附近で武装を解除され、その後シベリヤに抑留され、同二三年六月漸く帰国することができ、本籍地の横井菊太方に落付いた。

3  申立人の妻ともは、申立人応召後の昭和二〇年二月二日チチハル市で次男である事件本人を出産した(なお同年七月一七日長男高一が死亡した。)が、同年八月ソ連軍が旧満州に進攻して来たため、事件本人を伴つて、当時旧満州ハルビン市に居住していた伯父(菊太の実兄)横井富尾(通称民五郎)(当時同市内の○○○○に勤務)を頼つて同人方まで逃がれ、暫らく同所に居住していたが、同年一二月同市内でチフス病により死亡した。同女の死亡後横井富尾は、困難な条件のもとで事件本人を養育していたが、昭和二一年九月頃日本へ帰国するに際し、友人の山田修の紹介で事件本人を現地の中国人康某に預け、その養育を依頼した。

4  他方、中華人民共和国黒竜江省ハルビン市○○区○○○街××号居住の康立山(一九〇八年生れ)は、昭和二一年秋頃余静智及び山田修の紹介により、○○○○支配人で横井民五郎と名乗る日本人から男児を預かり、康依仁と名付て、以後自ら養育してきた。そして、康依仁は現在康立山と同住所に居住している。

5  康依仁は、康立山夫婦に養育されて成長し、一九七〇年に結婚した後妻の父から初めて日本人であることを知らされ、その後一九八〇年頃余静智から、自己が横井民五郎なる日本人から康立山の手に渡された際の状況を詳しく教えて貰つたが、その状況は、横井始が亡父横井富尾から生前聞かされた事件本人の現地の中国人に預けた際のそれと大略合致している。

6  康依仁は、中国残留孤児として肉親探しのため昭和五七年三月一時来日し、申立人と面会したが、その以前に自己の生年月日は一九四五年(昭和二〇年)二月六日、日本名は神田真夫又は正夫であり、父はもと軍人(大尉)で終戦時黒河で戦死し、母は当時二五~二六歳位で幼児の康依仁を抱いて黒河から伯父の横井民五郎を頼つてハルビン市にたどりついたものの同市○○溝の伯父方でチフス病により死亡したと聞かされていたが、上記のうち生年月日、日本名及び母の避難、死亡に至る経過が事件本人のそれとよく類似している。

7  康依仁は、頭部が大きく、額部が広く高く、眼が窪んで大きく二重瞼であり、耳が大きく、縮れ毛であるなどの身体的特徴を有するが、上記のうち、縮れ毛の点は亡ともと、その余の点は申立人と一致しており、申立人と康依仁とは一見して極めて類似した容姿の持主である。又申立人及び康依仁の血液型は共にB型(亡ともの血液型は不明)で、血液型からみて両者間に父子関係の存在を否定すべき理由はない。

8  上記のとおり、事件本人の死亡届には横井菊太作成名義の死亡現認書が添付されたが、菊太には渡満の事実はなく、従つて、同人が旧満州における事件本人の死亡を現認することはあり得ず、上記死亡現認書の記載は信を措き難い。

以上認定の事実によれば、中華人民共和国黒竜江省ハルビン市○○区○○○街××号に居住する康依仁は事件本人横井真夫であると認めることができる。従つて、事件本人の戸籍中死亡による除籍事項の記載は真実に反するものである。

よつて、戸籍法第一一三条によりその訂正を求める本件申立は、正当であるから、これを認容し、主文のとおり審判する。

(家事審判官 松岡登)

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